富士山は何県にある?山頂の県境未確定と登記簿に眠る驚きの真相

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富士山は何県にある?山頂の県境未確定と登記簿に眠る驚きの真相
富士山は何県にある?山頂の県境未確定と登記簿に眠る驚きの真相
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富士山 は 何 県なのか――。新幹線の車窓から白雪をいただく円錐形の巨体を眺めるとき、あるいは小学校の地図帳を開いた遠い記憶をたどるとき、多くの日本人がこの直球の疑問に行き当たる。「富士宮焼きそばがある静岡県だろう」「いや、逆さ富士の絶景を抱く山梨県だ」。双方が胸を張るご当地自慢の定番ネタだが、真相はもっと奇妙で、もっと奥深い。日本最高峰の頂には、21世紀の現在もなお、公的な県境が一本も引かれていないのだ。

八合目から上は誰の土地なのか、そもそも日常会話で「富士山 は 何 県にあるのか」と問われた行政窓口はどう答えているのか。自然地理学の区分から地方自治法の隙間に至るまで、現地を取材すると、単なる領有争いという言葉では片付けられない、したたかで成熟した知恵の軌跡が浮かび上がってくる。

境界線が引けない理由――国土地理院の地図が語る「空白」

手元のスマートフォンで国土地理院の電子国土基本図を開いてみる。標高3,776メートルの剣ヶ峰周辺をどれほど拡大しても、あるはずの細い点線――都道府県境の記号――が見当たらない。七合目付近までは整然と伸びてきた山梨・静岡両県の境界線が、八合目を過ぎるとふつうに途切れ、火口を取り囲むすり鉢状の山頂部には何の境界も描かれていない。

ミスプリントではない。国土地理院の公式な見解としても、富士山頂の県境は「未確定地」として処理されている。日本の国土全域をくまなく測量し尽くした国家機関であっても、両県の合意がない境界を勝手に引く権限はない。結果として、日本を象徴する最高地点は、公的な所属県を持たない特異な空白地帯として地図上に鎮座し続けている。

富士山は何県にある?山頂の県境未確定と登記・固定資産税の真実

「富士山は何県にあるのか」という問いに対し、境界未確定という事実はさらなる疑問を呼ぶ。土地の登記や税金はどうなっているのか。現地を取材すると、信じがたい行政の実態が明らかになった。

標高約3,700メートルを超える八合目以上の土地は、国有地でもなければ、静岡県や山梨県の公有地でもない。実は、宗教法人が所有する完全な「私有地」だ。そのため、不動産登記簿が存在する。法務局に保管されているその登記記録を確認すると、所在地の欄には驚くべき記載がある。市町村名や番地が書かれるべき場所に、ただ「富士山頂無番地」とだけ記されているのだ。都道府県の特定すらされていない。

さらに奇妙なのは、固定資産税の行方である。通常、私有地を保有していれば地方自治法と地方税法に基づき、所在する自治体から固定資産税が課される。しかし、富士山頂は静岡県富士宮市なのか山梨県富士吉田市なのか、所属自治体が法的に定まっていない。どちらの自治体も「ここは自らの管轄内だ」と一方的に課税通知を送ることはできない。結果として、富士山頂の広大な敷地には固定資産税が一切課税されていない。税金を取り立てられない土地が、日本の頂上にぽっかりと浮かんでいる格好だ。

徳川家康から富士山本宮浅間大社へ――山頂をめぐる歴史的権利

なぜ山頂が私有地なのか。時計の針を慶長11(1606)年まで巻き戻す必要がある。関ヶ原の戦いを制し、江戸幕府を開いた徳川家康は、篤く崇敬していた富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市)に対し、富士山八合目以上の支配権と散銭(登山者の賽銭)の収受権を寄進した。

明治維新の廃仏毀釈と上知令により、一時は国有地として国に没収されたものの、大社側は戦後、「信仰の山としての固有の歴史」を取り戻すべく国を相手取って長期の裁判闘争を起こした。1974年の最高裁判所判決によって浅間大社の所有権が認められ、境界確認などの実務調整を経て、2004年に正式に財務省から大社へ土地が無償譲渡された。

現在、富士山頂にある奥宮や久須志神社、山頂郵便局が建つ一帯は、名実ともに浅間大社の境内地である。気象庁の旧富士山測候所跡地などごく一部を除き、山頂部は神域として私有管理されているのが実情だ。

静岡県庁と山梨県庁の現実路線――「争わない」という地方自治の知恵

では、山頂をめぐって両県は今も激しい鍔迫り合いを続けているのだろうか。静岡県庁と山梨県庁の双方の担当部署に取材を試みると、返ってきたのは極めて冷静で、ある種の協調に満ちた答えだった。

かつて明治から昭和初期にかけては、境界を画定しようとする動きが確かに存在した。しかし、一度境界を決めてしまえば、観光資源としてのブランド、入山ルートの管理責任、遭難救助の管轄費用など、無数の利害が衝突する。どちらかが勝ち、どちらかが負けるゼロサムゲームに陥るよりは、「あえて境界を決めないまま棚上げにする」ほうが、双方にとって賢明だという政治判断が下された。

現在では、山梨県側が通行料の義務化やゲート管理を進める一方、静岡県側も独自の入山管理システムを構築し、緊密に情報交換を行っている。「県境がないからこそ、互いを尊重せざるを得ない」という逆転の発想が、両県の行政官たちに共有されている。

映画『富士山頂』から配信へ――映像が記録してきた信仰と観光業の共存

過酷な山頂環境に立ち向かってきた人々の営みは、長年メディアの格好の題材となってきた。石原裕次郎が主演・製作を務めた名作映画『富士山頂』(1970年)は、台風銀座と呼ばれた日本列島を守るため、標高3,776メートルの極限地に測候所レーダーを建設した男たちの執念を描き、大ヒットを記録した。

往年の昭和ドキュメンタリーが捉えた「自然への挑戦」は、今やデジタル時代を迎え、新たな文脈で再評価されている。NHKオンデマンドのアーカイブ特集やNetflixが世界配信する自然紀行ドキュメンタリーを通じて、富士山の特異な歴史に触れる若い世代や訪日外国人が急増している。観光業が巨大化するなかで、画面越しに映し出される峻険な山容は、単なるレジャーの対象ではなく、かつて命がけで挑んだ聖地であったことを雄弁に物語る。

世界文化遺産が問い直す「所有」から「共有」への価値観転換

2013年、富士山は世界文化遺産「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」としてユネスコに登録された。自然遺産ではなく「文化遺産」としての登録であった事実は重い。山そのものが持つ生態系だけでなく、古くからの修験道や葛飾北斎の浮世絵に見られる文化的価値が世界に認められたからだ。

文化遺産としての保全が国際的な責務となった今、「富士山は何県にあるのか」という問いの響きは以前と大きく変わりつつある。静岡か山梨かという二項対立的な領有権の議論は後退し、オーバーツーリズムによるゴミ問題や弾丸登山の抑止、環境保全に向けた共通のルール作りへと議論の主眼は移った。

県境の未確定は、行政上の怠慢ではなく、誰も独占できない日本の象徴を両県が分かち合うための「知恵ある余白」なのかもしれない。駿河湾から仰ぎ見る雄大な裾野も、河口湖の水面に揺れる凛とした影も、等しく同じひとつの頂へと結ばれている。 (出典: 富士山 は 何 県(Yahoo!ニュース)